日本の夏を代表する川魚、鮎。豊かな川に恵まれた日本人は、古くから鮎を‘初夏の使者’として珍重し、その恵みを味わってきました。その華麗に泳ぐ姿から‘清流の女王’とも称される鮎は、古来より日本人に愛されてきただけに、さまざまな別称をもつ川魚です。以下より、鮎のことを表わさない言葉を選びなさい。
①喧嘩魚
②公魚
③香魚
④年魚
【解答】②公魚
【解説】
川魚のなかでも、鮎ほど人々を魅了する魚はほかにない。季節の移ろいを愛でる日本人の感性を刺激する優美な姿と、香り高く繊細な味わいがその所以(ゆえん)だろう。
鮎は10月ごろになると産卵し、その稚魚は川を下り海に出る。翌年、春になると再び川に入り、幼魚期は河口で育ち、成魚になると川を上る。稚魚のうちは昆虫類などを餌にするが、成魚になると川石についた珪藻(けいそう)を食べるようになり、これが鮎独特の香気を生み出す。この独特の香りから「香魚」と呼ばれる。胡瓜(きゅうり)もしくは西瓜(すいか)のような香りと評されることが多い。香りは藻の成分によって左右されるため、川によっても季節によっても違ってくる。
「魚の塩焼きといえば、何といっても鮎だろう」と池波正太郎が記したようにその淡泊ながら香り高い風味は格別。塩焼きならば、脂ののる7~8月が最もおいしい時季といわれる。
清流に躍動する姿そのままに串を打つ‘おどり串’。鰭までおいしく食べられるよう化粧塩はまぶさず、焦がさず焼き上げる。
古代から歌にも盛んに詠まれ、親しまれてきた鮎。文献に鮎が取り上げられた歴史も古い。712年(和銅5年)に編纂された『古事記』には、すでに「年魚(あゆ)」という名前で登場する、つまり、この頃には秋になると産卵し、死滅する特性まで知られていたことになる。平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にはこうある。
「春生じ 夏長じ 秋衰え 冬死す 故に年魚と名づくなり」
初夏の若鮎から、真夏のしっかり脂ののった成魚、卵を抱いた秋の落ち鮎まで、短い期間に風味が刻々と変化するのもこの魚が愛されてきた原因の一つだろう。そして晩秋には一生を終えてしまうその寂寥(せきりょう)も。
鮎の刺身‘背越し’。骨が柔らかい若鮎の頃、透きとおるような身の美しさと皮の香り、そして骨の食感を愉しむ逸品。
秋の落ち鮎を燻製にして一年を通じて食べられる保存食に。そのままでも佃煮でも、正月には雑煮の出汁にも。
6月1日、鮎釣り漁解禁の日を迎えると、釣り人たちはわくわく、どきどき。毛ばりに友釣り、天然鮎の漁法は釣り人を魅了する。
鮎は古くから親しまれてきた魚だけに漁法もさまざま。釣り漁法でもっとも一般的なのが‘友釣り’で、なわばりに入ってくると追い払う、という鮎の習性を利用する。おとりの生きた鮎をつけた釣り針を鮎の棲む場所に入れ、追い払いにきた鮎を釣り針に引っ掛けて釣り上げるのだ。釣り人が香魚のほかに「喧嘩魚」ともいうのはここからだ。ほかにも、珪藻を食む前の水中昆虫などを追う時期のアユを狙って、繊細な毛針による疑似餌で鮎を釣る‘ドブ釣り’も。秋まで続く鮎の季節、釣り人にとっては短かすぎる4ヶ月だ。
栄養を蓄えた秋の鮎でつくる、内臓をつかった発酵食。雌の卵と雄の白子を混ぜて塩漬けする「子うるか」(右)。腹ワタだけでつくる「渋うるか」(左)
釣り漁法以外には投網のほか、長良川がよく知られる‘鵜飼漁’、夜間に火を振って寝ている鮎を驚かせて網にかける四万十川の‘火振り網漁’、水中眼鏡で魚の動きを見ながら仕掛けを投じる仁淀川の‘しゃくり漁’など全国各地で多彩な漁法がみられる。
京の都で培われた鮎食文化は、惣菜としてこんなところにも。錦市場にて
江戸時代に徳川将軍家にもっぱら献上された歴史をもつワカサギは、②公魚の字をあてられ現在に至る。
日本さかな検定(ととけん)の情報はこちらまで