桜が咲いた。
私たちは、こぞって、桜の花の開花を今か今かとこころ待ちにし、散りゆく花を惜しむ。その理由というものがあるとすれば、どういうことだろうかと探したくなって、サクラという言葉をたどってみた。
「サクラ」の「サ」は、田の神を意味する「さがみ田神」の「サ」、そして、「クラ」は「座」を意味するという。「サクラ」は田の神のおでましになるところ、つまり、田の神が美しい花となって姿を現したもの、それが桜なのだ。そして、田の神をお迎えして宴をはる。それが花見の起こりだという。
田の神さまのおでましとあっては、心騒いで当たり前であるし、花見は五穀豊穣の祭りなのだから、盛大に盛り上げるのも当然といえば当然なのかもしれない。
古代の信心が、そのまま現代に受け継がれているとは思わないが、なにかかけがえのないものを桜に感じてしまう心性は、今も否定できないのは確かだ。
さらに「咲く」の言葉をたどっていくと、「花が咲く」ことを「花がわらう」という雅語をみつけた。「笑みがこぼれる」ように、「花のつぼみがはじけて」花が咲く。満開の花々が、コロコロと心くすぐるような笑う声でできているなら、なんと愉快なことだろう。
咲子さんという友人がいて、いつも花が咲いたように笑う。花がわらう咲子さんだ。先頃会った彼女がお土産と渡してくれたのが、桜の花びらをかたどった薄氷ひとひらという和菓子。富山の銘菓で、五郎丸屋というところのものだ。薄氷の名のごとく、繊細な花びらは、ふかふかの真綿をクッションにして並べられている。黒塗りの盆にとって、桜の花形に置いているうちに、咲子さんと夜桜見物にでかけた気分になってくる。これも、桜の魔力なのかもしれない。