軍鶏鍋といえば、『鬼平犯科帳』にでてくる店「五鉄」が有名だろう。
醤油とみりんを半々でつくった「かえし」に、お酒をたっぷり、すき焼きよりはちょっと薄めの割り下で煮る。軍鶏肉のほかに、きんかん、すなぎも、せせりにレバー、牛蒡に葱を加える。噛みしめて旨味の濃厚さが鶏とはやはり別物だとおもう。
軍鶏は本来シャムの国から伝来した闘鶏品種で、江戸初期から各地で飼育されてきたらしい。オスはすこぶる闘争心が強く、闘鶏には気性の激しい鶏が好まれた。闘鶏で負けたり、闘争心に欠けたりする鶏は、ただちにつぶされて軍鶏鍋になった。戦わないのなら食われるしかないという無慈悲な世界である。
中国の故事に、この闘鶏を育てる名人の話がある。名人・紀悄子(きしょうし)に鶏を預けた王が、10日後にその仕上がりについて問うと、紀悄子は「まだです。むやみに虚勢を張っています。」と答える。更に10日ほどして王がまた尋ねると 「まだいけません。他の鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます」と答える。さらに10日後には「目を怒らせて睨みつけているようでは話になりません。」と答える。それから10日後「もう良いでしょう。他の鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木の鶏のようにみえます。その徳の前に、かなう鶏はいないでしょう。」と答えた。最強の闘鶏は、木鶏=木で彫った鶏のように全く動じないという軍鶏だということから、泰然自若の境地に至って最強となるというお話。
ことほど左様に、立派な軍鶏になるのも大変な修行が必要らしい。でも、考えようによっては、修行半ばの軍鶏のおかげで、美味しい軍鶏鍋にありついているということでもある。ああ、この世は、ひと筋縄ではいきません。未熟さまでも美味しくいただき、その味に惑乱寸前の私もやはり「未だ木鶏足り得ず」なのである。